もしも私が今から学問を学びなおすとしたら、プラトンの教えにしたがって数学から始めるだろう。
専門家というわけではないんだけど、データを扱う仕事をしています。データサイエンスなんていう言葉もすっかり時代遅れとなってしまった昨今ですが、それでもデータハンドリングの重要性は増していると思ってます。
それで、統計の勉強をどこからはじめたらいいですか、という質問をよく受けるんだけど、以前のエントリ では自分の本棚を晒しただけだったので、初学者がこれからデータを扱おうとする上でのおすすめの本を改めてまとめておきます。
グラフをつくる前に読む本 一瞬で伝わる表現はどのように生まれたのか
小一時間で読めます。いろんなグラフの特徴だけじゃなくて、そのグラフが誕生した経緯にも触れられていて読み物としておもしろい。なんとか分析、とかの前に、まずはグラフをつくってデータの特徴をみるのはデータ分析の鉄則だけど、そのグラフをつくる前に、どんなグラフをつくったらいいかを知ることは大切。
グラフをつくる前に読む本 一瞬で伝わる表現はどのように生まれたのか
- 作者: 松本健太郎
- 出版社/メーカー: 技術評論社
- 発売日: 2017/09/23
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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「データサイエンス」という言葉が大流行したときに流行った本。これも手法について掘り下げるというよりも、なぜデータが大切なのか、が丁寧に書いてある。続編もたくさん出てるので、興味をもったらいろいろ読んでみてもいいかもしれない。
統計学が最強の学問である[実践編]――データ分析のための思想と方法
統計学が最強の学問である[ビジネス編]――データを利益に変える知恵とデザイン
統計学が最強の学問である[数学編]――データ分析と機械学習のための新しい教科書
- 作者: 西内啓
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2013/01/24
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- 購入: 11人 クリック: 209回
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統計学をちゃんと勉強をしようと思ったら、この本を精読することを強くおすすめします。文体は非常に優しく、なんか簡単そうに書いてあるけど、かなり大切なことが網羅的に書いてあるので、この本をひととおり読んで理解できたら、統計解析の専門家、とまではいかなくとも、修士レベルの統計ユーザになれるでしょう。この本にも続編が出てます。
続・心理統計学の基礎--統合的理解を広げ深める (有斐閣アルマ)
データサイエンティスト養成読本 [ビッグデータ時代のビジネスを支えるデータ分析力が身につく! ] (Software Design plus)
実務レベルでどういう手法が必要になるかについて、事例も交えて紹介してくれているうえ、フリーで利用できるRの導入についても丁寧に解説してくれてる。実務レベルでは、t検定とか分散分析みたいないわゆる「統計学(推測統計)」を使うシーンってあんまりなくて、データの性質にあった作図をするか、それかクラスタリングとかディシジョンツリーみたいなデータマイニング的な手法のほうが向いてるデータを扱うことが多いです。改訂前の初版を読んだけど、改訂版が出てるので、これから読むなら改訂版のほうがいいです。こちらにも続編が。
改訂2版 データサイエンティスト養成読本 [プロになるためのデータ分析力が身につく! ] (Software Design plus)
データサイエンティスト養成読本 R活用編 【ビジネスデータ分析の現場で役立つ知識が満載! 】 (Software Design plus)
データサイエンティスト養成読本 登竜門編 (Software Design plus)
データサイエンティスト養成読本 機械学習入門編 (Software Design plus)
改訂2版 データサイエンティスト養成読本 [プロになるためのデータ分析力が身につく! ] (Software Design plus)
- 作者: 佐藤洋行,原田博植,里洋平,和田計也,早川敦士,倉橋一成,下田倫大,大成弘子,奥野晃裕,中川帝人,長岡裕己,中原誠
- 出版社/メーカー: 技術評論社
- 発売日: 2016/08/25
- メディア: 大型本
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ほかにもいろいろおすすめの良書はたくさんあるんだけど、あんまり多くてもどれを選んでいいか分からなくなっちゃうのでこれくらいで。
あと、やっぱり手と頭を動かすのが一番。書を捨てよ、データを弄ろう。
水は善く万物を利して而も争わず。
再婚していきなり3歳児の父親になりました。
目標とか課題とかを設定しないでただ生活を回すだけっていうのが苦手な上、構造化されてないとモヤモヤしてしまう性質なので、漠然と頭の中にあった子どもを育てていく上で気をつけていきたいことをまとめました。
いまはこう思ってるけど、状況にあわせて考え方が変わるかもしれないし、なにかつまずいたり困ったり悩んだりしたときに初心に戻れるように。
しなやかな人間に育ってほしい
まずは、子どもには、しなやかに生きてほしいと考えている。つまり、あらゆる事態を受容して適切に対処することができる人間になってほしいと願っている。今風にいうと、レジリエンスの高い人間、ってとこか。
中学生のときに老荘思想にハマって、読書感想文にも「水のように生きていきたい」みたいなことを書いたことがある。水は誰にでも分け隔てなく、自然に流されているけど力強く流れている。そんな風に生きていきたい、みたいな論旨だったと記憶している。妻がこないだ「くらげになりたい」と言っていて、よくよく話を聞いたら同じようなことを考えてた。
そして、「あらゆる事態を受容して適切に対処することができる人間」を、次の要素を満たす人間と定義したい。
- 複数の選択肢をもった上でもっとも確からしい解を選択できる人間
- 自分の選択をセルフチェックし、必要に応じて軌道修正できる人間
複数の選択肢をもつために
選択の幅を広げるためには幅広い視野を身につける必要がある。幅広い視野を身につけるということは、教養を深めると言い換えることができるだろう。今年度から立命館アジア太平洋大学の学長に就任した元ライフネット生命代表取締役会長兼CEOの出口治明氏曰く、教養を身につけるためには「人に会う」「旅をする」「本を読む」しかない、とのこと。積極的に人に会いに行ったり、あちこちに出かけたり、絵本を読みきかせしたりしたい。
確からしい解を選択できるようにするために
選択の幅を広げることの重要性はたびたび指摘されるけど、無駄に選択肢が多いと当人は混乱して、なんでもできるけどなんにもできない人になっちゃう。これについてはおれもずっと悩んでたし、妻も共感している。
(満男)何のために勉強するのかな?
(寅さん)人間、長い間生きてりゃいろんな事にぶつかるだろう。そんな時、俺みてえに勉強してないヤツは、振ったサイコロの出た目で決めるとか、その時の気分で決めるよりしょうがない。ところが、勉強したヤツは自分の頭で、きちんと筋道を立てて、「はて、こういう時はどうしたらいいかな?」 と考える事が出来るんだ。
寅さんの言うように、適切な選択のためには勉強して「学力」を身につけるしかない。ちなみに、「学力」というと知識・技能だけをイメージしがちだけど、それだけではない*1。「学力」という概念は、学力の三要素として「基礎的な知識・技能」「思考力・判断力・表現力等の能力」「主体性・多様性・協働性」と学校教育法で定義されている(学校教育法 第三十条2)。Society 5.0を生き抜く人材として、しっかり勉強してもらいたい。ただ、苦行として課題をこなすのではなく、楽しみながら勉強できるような環境は用意してあげたい。『勉強の哲学』を改めて読み直してみよう。
軌道修正できるようにするために
自分の選択が常に正しいとは限らない、という前提が必要。決して無謬主義に陥ってはならない。正解ではなく、「確からしい解」の選択であるというのがポイント。目の前のカードのなかから良さそうなものを、適切なタイミングで選ぶことができればいい。自分のミスがミスであることを認められるように、選択ミスは積極的に認めていきたいが、どうしてそうなったのかについては一緒に考えたい。決して、「努力が足りない」みたいなネオリベ的自己責任論に陥らないようにしたい。
なにをやるか
社会との接点、という観点から、「ルール」について教材として取り上げることを検討していて、発達段階に応じたゴールを設定している。
未就学 | ルールがあることを理解する |
初等教育 | ルールを守らなくてはいけないことを理解する |
中等教育 | なぜルールがあるのかを理解する |
高等教育 | 必要に応じてルールを修正したりつくったりしなくてはいけないことを理解する |
自分が子どものころ、「やっていいことと悪いことの区別もできないのか」とよく怒られたんだけど、
- 「わからない」と回答 → なんでわからないのか、と怒られる
- 「わかる」と回答 → わかっててなんでやるのか、と怒られる
こんなの、ぜんぜん教育的じゃない。ぶっちゃけ、「善悪」みたいなのは、いまでもわからない(「好き嫌い」ならわかる)。同じ理屈で「普通」とか「常識」とかもわからない(「多くの人」ならなんとなくわかる)。
価値判断はそれぞれ。
だけど、ルールはある。ルールが何のためにあるのかについては中学生くらいになったら対話をはじめようと考えてるけど、とりいそぎ、おまわりさんは「悪い人を捕まえる人」ではなく「ルールを守っていない人を捕まえる人」と教えている。
どうやるか
先回りしすぎない、ということを心掛けたい(ただし、生命を脅かす危険が迫ったとき、明らかな悪意が感じられたとき、他人に迷惑をかけそうなときは除く)。転んだら起き上ればいい。痛かったらつぎは痛くないようにすればいい。すべての経験は経験だ。先回りして注意すると、注意したことが守られなかったときに「ほーらね」ってなっちゃう。これじゃあ自己肯定感が低下してしまう。理想は、転んで痛かったことを受容・共感した上で、つぎに回避するためにどうすればいいか一緒に考えることだ。カウンセリングマインド。この理想を叶えるためには、こっちに余裕がなくちゃいけない。余裕がないときにはつい最短の手続きをとりがちで、こういう遠回りができなくなっちゃう。余裕を保つためには、時間とか体力とかみたいな有限のリソースを適切に配分する必要がある。とりいそぎ、育児休業と在宅勤務は積極的に活用したい。働き方改革。
さいごに
親としての希望をつらつらと書いたけど、子どもがこうなってくれても、ならなくてもいい。ただひとつだけのマストな願いは、親より長生きしてほしい。それだけ。そしておれはというと、ベストな親じゃないかもしれないけど、グッドイナフな親でいたい。
冒頭の繰り返しになるけど、いまはこう思ってるけど、状況にあわせて考え方が変わるかもしれないし、なにかつまずいたり困ったり悩んだりしたときにこれを読み返して初心を思い出したい。
*1:「AだけではなくBも」であって、「AよりもB」「AではなくB」ではないことには注意されたい
良工は先ず其の刀を利くすし、能書は必ず好筆を用いる。
自宅作業用にSurface Pro 3(とタイプカバー)を年末に購入した。
マイクロソフト Surface Pro 3 [サーフェス プロ](Core i5/128GB) 単体モデル [Windowsタブレット] MQ2-00017 (シルバー)
- 出版社/メーカー: マイクロソフト
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弘法は筆を選んでいたそうなので、環境を整備した。久々にガジェット好きの血が騒ぐ。
上京したときに実家の隣家から譲ってもらったLC II以来、20年来のMacユーザで、最後のマイマシンだったMacBookAirにコーヒーをこぼしてマザーボードが逝ってしまってから3年ほど自宅にパソコンのない生活をしてたんだけど、いよいよ自宅作業が必要になってきたのと、職場の環境となるべく近い作業環境を作りたくて、はじめてWin機を導入。
Surface Proにしたのは、ポータビリティを最大化するのが目的。持ち歩きに便利そうなので、Arc Mouseも購入。その他に、サードパーティ製の電源ACアダプターと、さんざん検討してリヒトラブのバッグインバッグを購入。まるでこのためにあるかのようなハマり具合。
ソフトウェア環境
Windows 10 on Surface Pro 3+Arc Mouse上で、OneNote(文献管理+メモ)、Mendeley(文献リスト作成)、Tableau(グラフ作成)、Workflowy(アウトライン作成+原稿執筆)、Word(校正+組版)、という環境を試している。TeXが使えればMendeleyとWordいらないんだけど、TeX入稿させてくんない。
— camaci (@camaci_mv) 2018年1月6日
とりいそぎこの環境でしばらく運用してみる。職場と自宅の両方で作業できるように、なるべくデスクトップアプリではなく、クラウド型のものを選んだ。悩んだポイントが文献リスト作成(MendeleyかZoteroか)、アウトラインプロセッサ(WorkflowyかDynalistか)、ノート(OneNoteかEvernoteか)。これについてはそのうち気が向いたら別エントリを投稿する。ちなみにブラウザはEdgeもよさそうだったんだけど、機能拡張やブックマークの整理が面倒なので、とりいそぎChromeをつかってる。IMEはGoogle日本語入力。
ウィンドウを分割する
PDF文書を読んだりウェブで調べものをしたりしながらメモをしたくて、調べたらこんな方法があった。便利。
Macでもできるようになってるらしい。
Macのウィンドウを整理して画面をスッキリ! | Macbookお仕事はっく | lblevery
水平スクロール(横スクロール)しない問題
左右にウィンドウを分割して、調べものをしながら原稿を書いてるんだけど、ウィンドウサイズが狭くなったので、サイトによっては水平スクロールしなくちゃいけない。トラックパッドもタッチスクリーンも水平スクロールできるのに、マウスだと水平スクロールできない問題発生。
あれこれと調べてみたんだけど、これといった解決策は見つからず。職場用にエルゴノミクスマウスを購入したときにマウスボタンのカスタマイズするのにマウスキーボードセンターを使ったのを思い出して、これをインストールしたらあっさり解決した。
充電ケーブルどうしよう問題
Surface Proはタブレットにキーボードが付いてるスタイルなのが特徴。タブレットとしても使えるという利点のほかに、夏場は放熱効率がよさそう。寝っ転がったときにキーボードが使えないのは不便だけど、寝っ転がったときはタブレットとしてしか使わない、と決めちゃえばいい。ただ、電源がディスプレイ側、しかも左側についてるのが、なかなかいただけない。下に向けると邪魔だし、上に向けると切れそう。近所の100均でアイテムを物色したら、ちょうど良さそうなのがあった。セリアのスマートフォン用ハンズフリーイヤホンマイク(片耳タイプ)に付属のケーブルクリップ。試してみたらケーブルが太くてダメだった。それで、うんうん唸ってたらひらめいた。タイプカバーの下を通せばいいんだ。
今後の展望
あとで落ち着いたらRStudio入れる。Web開発環境はCodaを使ってたんだけど、これに代わるクライアントも必要。エディタとFTPが一体化してるようなやつ。いいのあったら教えてください。Python環境も今後の課題。
ハード的には、ドックを買って、外部ディスプレイ2枚差しの3ディスプレイ環境にしたい。あと、職場で使ってるエルゴノミクスキーボード&マウスが絶好調なので、自宅用にもほしい。
Amazonベーシック モニターアーム デュアルディスプレイタイプ (モニターサイズ:27インチまで) K001395
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「努力」考 - ネオリベラリズムと自己責任論、教育の敗北、そして「自分らしく自由に生きていく」
どうもロスジェネ世代です。大学院重点化、高学歴ワーキングプアー、ブラックIT企業、奨学金返済滞納、非正規雇用、任期付き研究職、等々、ロスジェネならではのいろんなことを経験しながら生きながらえてきた、歩く社会問題です。で、こちらのまとめにコメントしたら予想外にたくさんのスターをいただいたので、みなさん思うところが多少なりともあるのかと。
「ロスジェネ世代? 社会が悪い? 報われないのはお前の努力が足りないからだ!」と言われたら、貴方はどう反応しますか? - Togetter
任意整理、という国の制度にすっかりお世話になってるけど、そういう救済をも否定しちゃってるよね。こういうの見ると、教育の敗北だ、と思う。
2017/12/23 19:46
おれのコメントもかなり言葉足らずだったので、改めてちゃんと書きます(長文)。すべての「自分の成功は自分の努力の賜物だ」と思っている人へ。
- 個人と社会のダイコトミー
- 努力することはなぜ大切なのか(原因帰属理論)
- 「とことん」「がむしゃら」に潜む弊害(生存バイアスと学習性無気力)
- 努力についての3つの前提
- ネオリベラリズムによる過度な競争と、そこから生じる分断と敵対
- 教育は敗北したのか
- 自分らしく自由に生きていく(結論に代えて)
個人と社会のダイコトミー
件のまとめをみると、「個人の努力不足」と「社会環境の未整備」という単純な二項対立構造(ダイコトミー)になっちゃってる。たいてい、ダイコトミーには落としどころがあって、その議論がないと先に進まない。このケースの場合、そこそこの能力、そこそこの努力、そこそこの環境があれば、そこそこの生活ができることが必要、というのが落としどころかと。というか、knt(黒猫亭) (@chronekotei)氏ほかの主張はそうなんだけど、どうやらそれが眞三喜 a.k.a. RERA (@rera_masaki)氏に伝わってない。「能力」「努力」「環境」のバランスが大切で、そのバランスがいまの政治によって崩れちゃってるよ、というお話。
努力することはなぜ大切なのか(原因帰属理論)
原因帰属理論はある結果がどのような原因によって生じたものなのか(帰属)を統制-安定性の軸で説明しようとする理論で、2軸でつくられる4象限にそれぞれ「能力」「努力」「課題難易度」「運」を配置したもの。
統制/安定性 | 安定 | 不安定 |
---|---|---|
内的統制 | 能力 | 努力 |
外的統制 | 課題難易度 | 運 |
まず統制の軸。内的統制と外的統制があって、内的統制は自分で変えられるもの、外的統制は自分で変えられないもの。「能力」「努力」は内的統制、「課題難易度」「運」は外的統制。次に安定性の軸。安定は変動しにくいもの、不安定は変動しやすいもの、と捉えると分かりやすい。「能力」は変動しにくいのに対し、「努力」は変動しやすい。自分で変えられる(内的統制)、かつ変えやすい(不安定な)変数は「努力」ということになる。つまり、原因を「努力」に帰属させることは、次の行動変容と親和性が高い。だから、努力することは大事、努力しましょう、はきわめて正論。しかし、次のふたつのケースを考えてみよう。
「とことん」「がむしゃら」に潜む弊害(生存バイアスと学習性無気力)
ケース1「努力した。だから結果が出た。」
「努力すれば報われる」「おれは努力した」「だからみんな努力しようぜ!」
気持ちはちょうわかる。でもこれは、ほかの方からも指摘されているように、「生存バイアス」と命名されている。まず、努力の仕方と量(努力のベクトル)が、たまたま適切だった可能性がある。または、努力について適切な仕方と量についての知識をたまたま得ることができていた可能性もある。つまり、外的な「運」や「課題難易度」といった「環境」が作用している可能性がある。もしかするとそれは家庭環境(親に感謝!)にかもしれないし、教育環境(先生に感謝!)だったかもしれない。そういう外的な要因が得られていることに対する無自覚こそが、生存バイアスだ。ちなみにこのケースでおれが指摘したのは、「任意整理」という制度によって努力できる環境が整っていた(日本に感謝!)ということ。さらに「生存バイアス(成功したのは努力のおかげ)」に「同調圧力(自分も努力したからお前も努力しろ)」が加わってるからややこしい。
ケース2「努力した。だけど結果が出ない。」
「努力したって無駄じゃん」「努力なんてやめちゃおう」
これにも「学習性無気力」という名前がついてる。強化学習において、適切な報酬がなければ行動は消去される。学習性無気力が生じるほど努力した人は、本当に「とことん」「がむしゃら」に努力してないのか?努力の仕方が悪いだけなのか?努力の量が足りないだけなのか?個人的な責任だけに帰属さるのか?そもそも、本当に「とことん」「がむしゃら」に努力しないといけないのか?
翻って、雇用問題、待機児童問題、教育格差問題みたいな個人の生活に密接に関わる社会的課題はすべて個人の努力だけで解決できるのか?または、個人の努力だけで解決すべき課題なのか?議論の出発がこの視点・水準だったのに、個人の経験を過度に一般化したことによって議論がすれ違っちゃってる。議論が矮小化された結果として陥ってしまったのが、「努力したからといって必ず報われるとは限らない」「それは努力が足りないだけ」の無限ループ。このやりとりには反証可能性がない。こんな議論、いつまでしても無駄なだけ。
努力についての3つの前提
- 努力しようと思えば努力できる環境が手に入る状態を維持しておくのは国家のすべきこと。
- そして、ある程度の努力をすればある程度の見返りが得られるような社会を維持しておくのも国家のすべきこと。
- さらに言うと、努力しなかったからといって基本的な人権が損なわれないように維持しておくのも国家のすべきこと。
前提って書いたけど、前提というより、イデオロギーに近いかもしれない。これらは、報われなかった人がかわいそう、とか、そういう感情的な問題ではなくて、社会全体の維持・向上のために必要なシステム。情けは人のためならず。この点について、 眞三喜 a.k.a. RERA (@rera_masaki)氏は「社会主義」「共産主義」と指摘してるけど、それはあまりにも理解が足りてない。保守であり、リベラルであります(©枝野幸男)。
ネオリベラリズムによる過度な競争と、そこから生じる分断と敵対
新自由主義(ネオリベラリズム):自己責任を基本に小さな政府を推進し、均衡財政、福祉・公共サービスなどの縮小、公営事業の民営化、グローバル化を前提とした経済政策、規制緩和による競争促進、労働者保護廃止などの経済政策の体系(Wikipediaより)
適切なルールが設定されているとしたら、そこでの競争への敗北は、たしかに自己責任なのかもしれない。そして、競争は勝者と敗者を分断する。ゼロサムゲームなのだ。だれかが勝つ、ということは、だれかが負ける、ということなのだ。ただ、適切なルールが設定されている適切な競争であれば、このゲームには、勝ったり負けたりできるはずだ。
競争のためには、等しい環境が与えられている、という前提が了解されていなければならない。この前提が成立している状態において、競争原理は正しい。等しい環境を設定するためにルールがあって、ルールの中で公正なゲームをしよう and/or させようとしてるそのルールを、どの水準で、どの規模で、どの分野で、どのように策定するのか、というのが政治なのであって、マスメディアによるニュースからは、だれがどの政党でどのくらいの票とカネを集めて失言して不倫した、みたいなことしか伝わってこないけど、こういうのを伝えてほしい。そして、まず議論すべきポイントは、適切なルールが設定されているかどうか、だ。国民は失言とか不倫とかじゃなくて、この機能をチェックしなくちゃいけない。
だが実際はどうだろう。いまの社会で挽回のチャンスがどれほどあるか?挽回できるケースとできないケースは個人の努力だけで説明ができるのか?挽回できなくなったとき、自己責任というだけで切り捨ててしまって良いのか?
固定化された社会階層は何をもたらすか。経済活動の停滞、科学力・技術力の地盤沈下、治安の悪化、つまり国力の低下だ。
そして勝者と敗者に分断された後に必ずやってくるのが敵対だ。自分は勝っている、と思い込むこと。勝者を自認する人間が敗者認定した人間に対して、負け犬の遠吠え、と放言すること。そこから得られるものってなんだろう。おそらくわずかな自己肯定感だけだ。競争力は逆に低下する。敵対からは何も生まれない。
教育は敗北したのか
新自由主義のイデオロギーの基に、 眞三喜 a.k.a. RERA (@rera_masaki)氏は適切に教育を受け、理解し、それに則って生活をし、さらにそれを啓蒙しているのだ。なんという教育効果!
初等教育(小学校)はルールがあるということを教える場、中等教育(中学校・高校)はルールを守ることを教える場、高等教育(大学・専門学校・高専)は必要に応じてルールを変えたり作ったりすることを教える場、だと思ってる。
— camaci (@camaci_mv) 2017年10月16日
これはおれがずっと考えていること。ちょっと前に、前川前文部科学事務次官が「ネトウヨは教育の失敗」と述べたことが話題になったけど、自己肯定感云々は置いておいて、おれが感じている「教育の敗北」とはこういう「必要に応じてルールを代えたり作ったり」するための思考力が涵養されているか、という意味。「大学時代に資格を取得したからいま食えてるのは自分の努力のおかげ!(意訳)」という発言には、高等教育のいろんな問題をはらんでいて、文系不要論、専門職大学、高等教育無償化、の議論に繋がる。高等教育とは何か、高等教育はどうあるべきか、もっと真剣に議論しなくちゃいけない。「役に立つ」学問とはどういうことを含意するのか。「役に立たない」学問は本当に役に立たないのか。プラトンの国家論、高度専門職養成とリベラルアーツ、フンボルト理念、あたりがキーワードになるかと思うんだけど、これはまた別の機会に。
自分らしく自由に生きていく(結論に代えて)
童貞弄りで批判されまくっている某女史の言葉ではないが、「自分らしく自由に生きていく」とはどういうことなのかについてずっと考えている。たぶんおれは、努力や結果は大切だけど、努力や結果だけがすべてではない、という方向に持っていきたいんだと思う。結果は結果だけど、みんながみんな目標達成型でいる必要もない。努力はとても尊いものだけれども、努力というひとつの軸だけで評価されるべきものでもない。
自分らしくあるとはどういうことなのか。自分とは何なのか。自由とは何なのか。自由でありたい、という願望から自由になれるのか。他人の自由に対してどこまで寛容になれるのか。「みんなちがってみんないい」は「みんなちがってみんないい」と思わない人とどう向き合うのか。「行き遅れ」と言われて激昂する人がなぜ「童貞を弄ってもいい」と思うのか。なぜ戦争が起きるのか。ここでうまいこと考えて結論ぽいことを言えれば売文業で食っていけるかもしれないんだけど、あいにくまだまだ結論が出そうにない。先延ばし病。でも、そういうことをずっと考え続けて、死ぬ間際に、やっぱりわかんねーなーって言いながら死んでいきたい。
誤用と転用。クリスマスイブはいつからクリスマスイブか。
どうもクリスマスイブ警察です。
【定期】クリスマスイブ、の「イブ」はイブニングのイブなので、「クリスマスイブの朝」は誤用です。12/24の日没とともにクリスマスが始まります。朝から元気にメリークリスマスとか言わないように。ちなみに、横浜の日没時間は16:35:12、東京の日没時間は16:33:21とのこと。
— camaci (@camaci_mv) 2017年12月23日
宗教者以外の方には関係ない話なので、まあどうでもいいっちゃどうでもいいんだけど(おれもノンクリスチャン)。
で、もうひとつ、一般人?にとってどうでもいいかもしれないのが「母数」というおれを悩ます言葉。おれの理解では「母集団のパラメータ(母平均とか母分散とか)」を示す用語のはずなんだけど、どうも「サンプルサイズ」「標本の大きさ」というニュアンスで使ってるぽい(ついでにいうと「標本数」という誤用も多そうなんだけどそれはまた別のお話)。Twitterのアンケート機能で「母数を増やしたいので投票をお願いします!」と呼びかけてる人が多くて、なるほどこうやって広まっているのか、と。「分母」の「母」に引っ張られてるのかな。そういうケースとは別に、きちんと研究法のトレーニングをそれなりに受けているはずの研究者の方でもそういう使い方をしている事例が散見されて、そのたびにもにょる。
あと、「確信犯」「ウィキ」「学歴」「モラルハザード」「恣意的」あたりの言葉にもいつももにょってる。
これは、決して「おれがいつも正しい言葉を使っているので言葉を知らない愚かな者たちはおれを見習い給へ」とか言っているわけじゃなくて、おれも言葉の誤用をたぶんしてるし、誤用によって重大な不利益を起こしてしまうこともあるんじゃないかと思ってビクビクしながら生きてます、という話です。
誤用と転用も違うものだし、なかなか難しい問題だなあ。
宵越しの金は持てない
冬のボーナスを一週間で溶かした。
昨年転職してきて、一年目にまさかのF評価。かなりボーナスを減額されちゃったけど、一年目の夏は支給されず、一年目の冬と二年目の夏は転居費用で相殺され、やっとのことで手に入れたボーナス。パーッと使ってやった。
iPhone X
ボーナス支給日の朝にネット予約して、夕方に表参道のApple Storeに受け取りに行った。すごくスムーズだった。いまどきのApple Storeにはカウンターないのね。
1月にSoftBankの2年縛りが切れるので、Apple Storeで一括払いで購入して、LINEモバイルにMNPしようと思ってたんだけど、SoftBankショップに行ったら2年縛りまでもう一年あることが発覚。そんなことならおとなしくSoftBankで機種変更してればよかった。
iPhone X。評判はイマイチだけど、おれはそれなりに満足。5Sからの乗り換えなので、電池の持ちはいいし、画面はデカい。FaceIDの認識率も(オッサンなので指紋認証もそこそこの精度だったので)悪くない。ポートレートモードで被写界深度の浅い写真が撮れるのがいい。
AppleCareと液晶保護フィルムも同時購入。必須アイテム。Apple Storeの液晶保護フィルムを貼る専用マシンがスゴくて、フィルムを置いて、その上にiPhoneを置いて、フィルムを引っ張るだけ。一瞬の作業。ムービー撮っておけばよかった。
充電器も自宅用と職場用に購入。置くだけで充電できるの、ちょう便利。
それから、SoftBankの事務手数料。持ち込み端末の機種変更で3000円とられた。もうSoftBankやめたい。
Surface Pro
マイクロソフト Surface Pro [サーフェス プロ ノートパソコン] Office H&B搭載 12.3型 Core i5/256GB/8GB FJX-00014
- 出版社/メーカー: マイクロソフト
- 発売日: 2017/06/15
- メディア: Personal Computers
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パソコンのない生活を3年くらいしてたんだけど、いよいよ仕事を自宅に持ち帰らないと回らない状況になってきた。
20年来のMacユーザだったんだけど、こないだ某セミナーに行ったら全員MacBookを開いてて気持ち悪かったので、なんらかのWindowsマシンがいいなあと思ってた。Tableauを使いたいので、64bitかつ8GB RAM以上で探してて、メルカリでちょうどいいのが売ってたので即ポチ。タイプカバーも着いててちょうお買い得。
Windows機の設定なんてはじめてやるので、工場出荷状態に戻したら日本語パッケージもネットワークデバイスドライバもなくなっちゃって、一瞬詰んだかと思ったけど、ごにょごにょしたら復活した。こういうとこはMacのほうが便利。
ちょっと使ってみた感じでは、タイプカバーが安定していない仕様なので膝の上では使えない。自宅のソファに寝っ転がって、とか、電車で移動中、とか、そういうところでは使えないのが不便。移動中はタブレットとしてドヤ顔で使えばいいのかな。液晶側に本体機能があるので、放熱効率はよさそう。ArcMouseほしい。あと、プレゼンの機会が多いので、リングマウスとディスプレイアダプタ(VGAとHDMIと両方)が必要。
マイクロソフト マウス Bluetooth対応/薄型/小型 Arc Mouse ELG-00007
- 出版社/メーカー: マイクロソフト
- 発売日: 2017/09/22
- メディア: Personal Computers
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サンワダイレクト リングマウス2 指輪マウス 5ボタン ボタン割り付け プレゼンテーション カウント切替 充電式 400-MA077
- 出版社/メーカー: サンワダイレクト
- メディア: オフィス用品
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Microsoft Sculpt Ergonomic Desktop Keyboad & Mouse
マイクロソフト キーボード マウスセット ワイヤレス/セキュリティ(暗号化機能搭載) Sculpt Ergonomic Desktop AES L5V-00030
- 出版社/メーカー: マイクロソフト
- 発売日: 2015/12/11
- メディア: Personal Computers
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職場用に無線マウスが欲しくて、探してたらこれ見つけて、どうしても欲しくなっちゃって5秒考えて購入。最初ちょっと違和感あったけど、すぐに慣れた。deleteキーがやたらデカくて、backspaceと間違えて押しちゃうのだけまだ慣れないけど。でも、自然といい姿勢が保たれるので、肩コリがひどいのが治りそう。自宅用にもう1セット欲しいくらい。
まとめ
何年もガジェットを我慢してたんだけど、一気に噴出。5年は減価償却期間にしよう。これは無駄遣い、なのか?
思考はツールに影響される。または、ツールが思考を規定する。
プレゼン資料の作成が日常業務のひとつ。
資料作成のとき、なんとなく頭の中にあるストーリーを、いつもそのままいきなりスライドにしてて、これまではわりと単純な資料ばかりだったからそれでよかったんだけど、いま作ろうとしてる資料がちょっと複雑、というか、複線的で、どういう風に組み立てればいいか、ちょっと困ってた。
そこで思い出したのがアウトライプロセッサの存在。
アウトラインプロセッサとは
アウトラインプロセッサ(outline processor)とは、コンピュータで文書のアウトライン構造(全体の構造)を定めてから、細部を編集していくために用いられる文書作成ソフトウェア。英語ではoutlinerという呼称が一般的。
知らない人にはこの説明じゃよくわかんないかもしれないんだけど、箇条書きのためのソフトで、入れ子にする(階層構造にする)、順番を入れ替える、といった処理が簡単にできるというもの。
詳しい説明はこちらをどうぞ。
アウトラインプロセッサWorkFlowyで情報を整理してみた
というわけで、さっそくWorkFlowyの使用感。
思いついたことを思いついた順番に思いついたように箇条書きにしていって、順番を入れ替えたり階層構造にしたり。考えていること、思いついたことが、みるみるうちに整理されていくし、足りない情報やロジックの隙間にもすぐに気づける。手を動かしながら考える、って、まさにこういうことを言うんだな、っていう感覚。PowerPointでいきなりプレゼン資料を作ると、ついあれもこれもと欲張ってしまい情報過多になってしまいがちだけど、アウトラインプロセッサを利用すると「全体のストーリー」をかなり意識できるので、本編にあまり関係のない、あまり本質的でない、余計なスライドを作らなくてすむようになる。
基本的にはテキスト処理だけなので、フォントサイズや色、余白などのビジュアルに惑わされない、というメリットもある。文脈のことだけ考えらていられるのはとても大きい。資料の敲きを共有すると、本編とは関係のないビジュアルに関するツッコミが盛大に入りまくって非常にストレスフルだったんだけど、ひとまずこの状態で見せるのはありかも。
WorkFlowyにはショートカットキーが用意されていて、慣れちゃえばかなり高速に使えるようになると思う。ヘルプにチートシートもあるので、慣れるまではチートシートを出しっぱなしにして、それを見ながら作業できる。
PowerPointにもWordにもアウトライン機能があるけど、PowerPointのアウトライン機能はコンテンツに表示される文言に制約されるし、Wordのアウトライン機能もファイル管理で別のリソースを使わなくちゃいけない。これらの問題をWorkFlowyなら解決できる。
ただ、iPhoneアプリがあんまりよくない。出先でちょっとした修正に、という感じならなんとか、ってとこ。あと、これはそれほど気にならないけど、英語版しかないのは国内での普及にはちょっとネックになるかも。
こんなこともできるみたい。
まとめ
情報を整理するのに、利用するツールによって思考の過程が変わってくるということはあると思う。ツールに溺れることなく、適切なときに、適切なシーンで、適切なツールを使いこなせられるように心がけていたい。
なおこの文章はアウトラインプロセッサを使わずに作成されました。
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